暦法に関して、興味深い考え方をご紹介しましょう。
『魏略』という本があります。
三国志、魏蜀呉の「魏」の国の歴史をまとめたものとされ、清の時
その中で、『魏志』東夷伝倭人条の逸文から引くという形で紹介さ
「其俗不知正歳四節但計春耕秋収為年紀」
さて、どう読みますか。
「倭人の風俗は、四季に基づく正しい年暦を知らない。ただし、「 春耕」「秋収」を1年としている。」
こういう解釈を元に、古代の日本人は6ヶ月を1年として数えてい た、という説があります。二倍年歴、と言われます。つまり「春耕 」「秋収」それぞれを1年とする、という読み方ですね。しかし「 春耕」「秋収」のセットで1年としている、という解釈もできます 。ただ、そうすると「不知正歳」との整合性が無くなってしまう気 もしますが…。
これでいけば、倭人の言う1年、1歳を半減すれば、ちょうど現在 の数え方に合致することになります。たしかに『魏志倭人伝』に、 倭人の寿命が
「其人寿考、或百年、或八九十年。」
なんて書かれているのを、50歳、45歳と読めば妥当ですね。ま た、『日本書紀』で神武天皇が「及年四十五歳」で東征を始め、「 時年一百廿七歳。」で崩御したという神話的記述も、22歳の若き 天皇が勇躍東征を開始し、国を築いて63歳で亡くなったと考えれ ば、何の矛盾もありません。日本に暦法が伝わったのは聖徳太子の 時代少し前くらいですから、それ以前の『日本書紀』の記述が二倍 年歴でなされたとすれば、不自然な寿命も何ら問題なくなるのです 。
二倍年歴は、古代インドや中国でも用いていたとする説もあります 。私はその方面の専門家ではありませんから、確かなことは何も言 えないのですが、『魏志倭人伝』や『日本書紀』の不自然な年齢表 記が一気に解決する、という点では「そういう考え方もあるなぁ」 という気はいたします。
「倭人の風俗は、四季に基づく正しい年暦を知らない。ただし、「
こういう解釈を元に、古代の日本人は6ヶ月を1年として数えてい
これでいけば、倭人の言う1年、1歳を半減すれば、ちょうど現在
「其人寿考、或百年、或八九十年。」
なんて書かれているのを、50歳、45歳と読めば妥当ですね。ま
二倍年歴は、古代インドや中国でも用いていたとする説もあります
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