2020年8月14日金曜日

 「8月14日Dr佐野千遥 極道中共に対するウイグル人防衛の為のチュルク語系セミナー」に参加ご希望の方はセミナー窓口

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第1章 縄文日本人をアイヌ民族と融合して形作ったシュメール人に最も近い人種はウイグル人

 

ムー大陸が沈んだ時に西に逃げたのが黄色人種アルタイ語族:トルコ(チュルク)系、モンゴル系、満州系、朝鮮韓国系、日本のシュメールであった。

 

古代日本のシュメール人はアルタイ語族系であることは従来から分かっていたが、より正確にはチュルク系で、最も近い民族はウイグル人である。

 

沖縄から日本列島に掛けて住んでいたシュメール人と、千島列島から北海道・東北に掛けて住んでいたアイヌ人とが、八紘一宇で戦乱無しで融合し成したのが縄文日本人である。

 

最近、右翼系の理論家で、今日のアイヌがチュチェ思想を持った親中派の似非サヨク指導者に率いられている事を見て、

 

“アイヌ人は13世紀鎌倉時代に初めて日本に遣って来た!”

“アイヌ人は先住民族では無い!”

 

と主張している人が居るので、この点に付き私・佐野千遥の見解を述べたい。

 

先ず、ヤマトタケルの時代の蝦夷、エミシとはアイヌ人の事であり、

 

“蝦夷・エミシは13世紀鎌倉時代に初めて日本に遣って来た!”

 

という主張は完全に誤りであること、意図的な誤りである事が此処に満天下に明らかと成る、

 

そして以下に論証・実証するように、片やアイヌ人は他方のシュメール人と融合して縄文日本人を形作った、今日の我々日本人にとっても非常に重要な先住民族である。

 

今日のアイヌがチュチェ思想を持った親中派の似非サヨク指導者に率いられているなら、その似非サヨク指導者のイデオロギーを完膚なきまでに公開批判し、アイヌ人達をその似非サヨクの影響から引き離す事を為すべきなのであって、上述した様な歴史の捏造を行うなら、未来永劫にアイヌ人達は今日の日本人を恨んで去るであろう。そういうことは有ってはならない。

 

その右翼理論家が、上述した様な思考回路に嵌まり込んで自力では抜け出せなってしまう原因は、日本の右翼理論家達が、左翼・似非サヨクと噛み合った議論を遣って説得できる自信を全く持ち合わせて居ないからである。2400年前のアリストテレス以来初めて無矛盾の自然科学・社会科学体系を創り出した私・佐野千遥には、噛み合った議論を遣ってくれるなら、左翼・似非サヨクを完璧に説得してしまう自信が有る。

 

日ユ同祖論とは、ユダヤ人が中東から日本に単に遣って来たということではなく、元々日本に住んでいたシュメール・アイヌ民族(=縄文日本人)がアイヌのYAP遺伝子を持って中東に赴き、後に中東から日本に戻って来た話である。

 

今日自分はアイヌの子孫とする人達の90%がYAP遺伝子を持っており、縄文日本人系の日本人の65%がYAP遺伝子を持っており、少なからぬアラブ人・ユダヤ人がYAP遺伝子を持っており、その他僅かにチベット人、アルメニア人の中にYAP遺伝子を持っている人達が居る。その他の国々、地域にはYAP遺伝子は存在しない。これは基本的には日本列島でアイヌと混血したシュメール人が中東と日本の間でYAP遺伝子を持ち歩いた事を意味している。

 

YAP遺伝子に付いてのみで、既にシュメールとアイヌの混血は明らかであるが、更に中東に着いたばかりのシュメールの様相が西洋人顔負けの大きな眼をしており目尻が下がっていた事から、シュメールとは朝鮮やツングース系ではなくチュルク系であり、尚且つ白人アイヌとの混血である事が確定される。

 

なぜ日本に居たシュメール・アイヌが中東に赴き、世界史上最初の文明であるメソポタミヤ文明を中東に開闢したかの理由が今迄謎であった。その謎を私・佐野千遥が解明したので、此処に発表する。

 

チグリス・ユーフラテス河の源流であるトルコの西アナトリア地方には当時からチュルク系民族が住み付いていた。そのアナトリア地方からチグリス・ユーフラテス河を船で下ると、今日のイラク・クウェート辺りの河口でチグリス・ユーフラテス河は海に注ぐ。

 

そのチグリス・ユーフラテス河口から船出して、海路日本まで遣って来たチュルク人が居た。ムー大陸が沈んだ時に西に逃げたアルタイ語族の中のチュルク系民族は当時既に、今日のトルコ、アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、東トルキスタン、そして日本に住んでおり、彼等は当時ほぼ同じチュルク語を喋っていた。

 

日本に遣って来たアナトリア地方出身のチュルク人は、ほぼ同じチュルク語を喋っているシュメール・アイヌ人にチュルク語で話しかけ、「中東に来ないか?」と誘った。シュメール・アイヌ人の中には行こうと思い立った者達と、矢張り日本に留まろうと考えた者達が居た。中東に行かずに日本に留まったシュメール・アイヌ人の子孫が出雲大社を司った物部氏である。

 

中東に行こうと思い立ったシュメール・アイヌ人達とは天皇一族とその取り巻き人達であった。彼等はアナトリア地方出身のチュルク人が元来た道を中東に向けて戻るのに付いて行き、アナトリア地方出身のチュルク人と一緒に今日のイラク・クウェートに有ったチグリス・ユーフラテス河口の港に上陸した。つまりそこがメソポタミヤ地方だったのである。

 

シュメール・アイヌ達はその地がたいそう気に入り、チグリス・ユーフラテス河を遡らずにメソポタミヤ地方に根を下ろす事に決めた。アナトリア地方出身のチュルク人は多分別れを告げてチグリス・ユーフラテス河を遡り、アナトリア地方まで戻ったのであろう。その後もそのアナトリア地方出身のチュルク人との交流は何度か有った筈であり、メソポタミヤ地方にメソポタミヤ文明を開闢したシュメール・アイヌはバビロニア第1王朝を打ち立てた。この様に王朝を打ち立てた事からも、日本から出かけたシュメール・アイヌは決して一般民衆では無く、天皇一族で有った可能性が大きい。このバビロニア第1王朝の時代に周辺に生活していたセム系の人達がこの民族を「シュメール」と呼んだのであって、シュメール人自身は自分達を当時のチュルク語で「キエンギ」と呼んでいた。

 

このバビロニア第1王朝が滅亡すると、シュメール・アイヌは二手に分かれて逃げた。

 

一団は、世話に成ったチュルク人達が居るチグリス・ユーフラテス河の源流アナトリア地方まで、チグリス・ユーフラテス河を遡って逃げた。そしてそのアナトリア地方にヒッタイト王国を創ったのである。このシュメール・アイヌの一団は天皇一族の本家ではなかった様だが、アナトリア地方のチュルク人が大変友好的で有った為に王朝、つまりヒッタイト王国を打ち立てる事が出来た。

 

シュメ-ル・アイヌのもう一団は、古代イスラエル王国に逃げ込んだ。古代イスラエル王国はムー大陸の白人・ハザールが取り仕切っていたが、バビロニヤ第入1王朝のシュメ-ル・アイヌ一団が剣と盾を持ってイスラエルに入って来るかに見えたので、彼等を武装解除してから、イスラエルに入る事を許可した。その結果、シュメ-ル・アイヌ一団は羊飼いにまで身を窶して生活した。しかし羊飼いに身を窶したシュメ-ル・アイヌ達の間でも、それなりに天皇は君主と見做されていたと考えられる。

 

何故ならイスラエルに逃げ込んだシュメ-ル・アイヌの中から、後にハザールの古代イスラエル王朝からユダ王朝を分裂させる羊飼いダビデが輩出するからである。

 

先にイスラエル王国が滅亡し、後にユダ王国が滅亡するが、ユダ王国のダビデの子孫が、シュメール文字の古文書を基に、海路日本に戻り、長崎から上陸したのが神武天皇である。

 

第2章 アラム語、アラビヤ語は双対性原理に依って発展した神の言語

 

一般の言語例えば英語、ドイツ語、スペイン語、フランス語、ロシア語、中国語、日本語、等々は通常語彙数が約10万語である。

 

ところがアラビヤ語やイエス・キリストの母語であるアラマイ語(イエス・キリストの母語はヘブライ語ではない。アッシリアのアラマイ語[又は「アラム語」と呼ばれる]である。)は語彙数が60万語有る。

アラマイ語やアラビヤ語はその他に文法の複雑度が英語の約100億倍という事も手伝って、アラビヤ語やアラマイ語を習得するに必要な時間とエネルギーは他の言語を習得するのに必要な時間とエネルギーの10倍と考えてよい。つまりアラビヤ語1言語マスターする事は10か国語をマスターした事に匹敵する。なぜ、アラビヤ語、アラマイ語の語彙数が通常言語の6倍であるかは後程説明する。

 

ヘブライ語という物はその昔から既に堕落して居た。つまり文法が太古の昔に既に急速に簡素化され出していた。

 

現代ヘブライ文字はアラム文字から出て来ている。しかし外国人にヘブライ語が難しく見える様に、業と紛らわしく似た形のアルファベットの対が幾つも有る。手書きの場合には縦長に書く癖のある人と上下を潰して書く癖の有る人が有るのだから、又、書体を崩して書く傾向の有る人が大多数で有る為、ヘブライ語の手書きの文書のコンピュータによる解読は他の言語と比べ多くの困難を伴う。

 

現代ヘブライ語が文字だけ紛らわしく複雑怪奇にしたのは、文法が太古のヘブライ語(つまり今日のアラム語・アラビヤ語)に比べて余りに簡素化し過ぎたので、その照れ隠しのためと言える。

 

ヘブライ語は死語に成った時期も有り、現代ヘブライ語はアラビヤ語、アラム語の様には語彙数が60万語には全く届かず、他言語と同じ10万語か10万語を少し欠ける位でしかない。

 

更に現代ヘブライ語はアラビヤ語で言えば「シャッダ」、つまり日本語の「ちょっと、待って!」の様にピタッと音声を切る事が出来ない。太古のヘブライ語は今日のアラビヤ語・アラム語の様に切っていたのであろうが、古代イスラエルが滅亡した後、ユダヤ人達はヨ-ロッパ諸国に逃げ込んで生活した為にピタッと音声を切る事が出来なくなってしまっている。アラビヤ人の耳には現代ヘブライ語の喋り方が締まりがないズーズー弁の様に聞こえる。

 

ヘブライ語の現象面の批判はこの位にして、本論の「アラム語、アラビヤ語は双対性原理に依って発展した神の言語」の話に入る。

 

読者の方々の中には、昔私が「誤った数学と正しい数学」に付いて語った事が有る事を覚えている方々も少なからず居るであろう。

京都大学の故森毅教授が以前、「確率論と微積分の分野は双対性の原理に依って数学の定理体系を発展させる事が出来ない。」と語った事が有った。

 

私・佐野千遥はこれを受けて、確率論と微積分論の二分野は二つ共が、そして全数学分野の中でこの二つだけが連続実数の上に創られた数学である事から、確率論と微積分論の分野は双対性の原理に依って数学の定理体系を発展させる事が出来ない原因が、連続実数の上に創られた数学分野であるからであり、逆に離散値を持つ数の上に創られた数学は双対性の原理に則って定理体系を発展させる事ができる、とした。

 

網の眼の様に定理体系が発展している時、その網の眼が纏まった空間の或る箇所に大きな穴が空いていて、それと対応するその外側に向かって発展する網の眼にも大きな穴が空いている場合に、周りから類推して、内側の穴の箇所に有る筈と予想される定理と、外側の穴の箇所に有ると予想される定理はたいていの場合、予想通り証明できるものである。しかも幾通りのもの証明が可能である。

 

ところが確率論と微積分の分野が双対性の原理に依って数学の定理体系を発展させる事が出来ない理由は、定理が一列にしか羅列されないからであり、また一通りの証明しかできないからである。

 

私・佐野千遥はその後、離散値の数ではなく連続実数に基づいて造られた数学分野:確率論と微積分論はゲーデルの不完全性定理に依って誤った数学分野である事を証明した。そして微積分論の方だけは、ルベーグ積分の様に離散値でも積分が出来る事から救い様が有るが、あらゆる異質な世界を貫いて確率変数なる物が全宇宙に存在しなければ確率論なる数学分野が成り立ち得ない分けだが、確率論の基礎数学化を試みた数学者コルモゴルフによっても確率変数の存在証明が為されなかった事と、その存在が証明されていない確率変数が、存在しない0と1の間の連続実数値を必ず受け取るとする確率論は如何なる意味に於いても救済しようがなく、完全に誤った数学分野である事が最終的に論証された。

 

ところで、言語の分野に於いてこれと似た現象が発見された。

 

アラム語、アラビヤ語では、或る概念を表す語が、全く別の語根から幾通りにも形成される。つまり上述した様に、離散値に基づく正しい数学分野に於いては定理の証明が幾通りにも出来る、という事に、言語分野に於いて対応した仕組みと構造が発見された事に成る。

 

アラム語、アラビヤ語では、或る概念を表す語が、全く別の語根から幾通りにも形成されるから、普通語彙数10万語の他の言語と異なって、アラム語、アラビヤ語だけは語彙数が60万語に昇るのである。

 

第3章 日光に頭脳の左右の側頭葉が当たると、論理・言語・発見的学習能力が発達する。当たらないと退化する。

 

人間の頭蓋骨は日光の入射角度に垂直な平面の方向に発達する傾向を持っている。

 

世界史上、厳密科学:数学と物理学を創り出したのは、ギリシャ人(幾何学)、アラブ人(代数学)、フランス人(18、19世紀に数学、物理学、物理化学を纏めた)、ユダヤ人(物理学)、ドイツ人(物理学)、日本人(数学と物理学)であり、その全ての言語は高度に複雑な文法を持っており、その殆どが、側頭葉が広い長頭(才槌頭)を持っている(日本人にはムー大陸白人のアイヌの血とウイグル人と同じチュルク系及び、中東から戻って来たダビデの子孫・神武天皇のシュメールユダヤの血が混じっている)。

 

明治の初期にヨーロッパ人達は日本人をヨーロッパの大学に招いて、どの位厳密科学を理解できる人種かを試した。と言うのは、アフリカの黒人、東南アジアのアジア人、中国人をそれまでにヨーロッパの大学に招いて、どの位、厳密科学を理解できるかを試したが、全てほぼ全く理解できない、という結論を出していたからである。

 

ところが日本人はこの時ヨーロッパ人をも遥かに凌ぐ能力を発揮したのである。ヨーロッパ人の教授に日本人の生徒が数学を逆に教える事態が発生したのである!

 

団塊の世代までは、世界一数学に強い民族は日本人であった。しかしその後の日本人の断トツ世界一の理工系離れは余りにも惨憺たる事態である。

 

そして更には、断トツ世界一の脱イデオロギー、断トツ世界一の無気力へと今日の日本人が成り下がった原因は、勿論アメリカナイズされた“ゆとりの教育”に責任が有る事だが

 

1 人工電磁波と日光とはエーテル構造が全く異なっており日光を電磁波と呼ぶ事は真の物理学=スミルノフ物理学の観点からは誤りであるにも拘らず、エーテルの存在を否定する誤謬の現代量子物理学・素粒子論・宇宙物理学を信奉する物理学者達が、日光を電磁波だから危ない物、との意識を今日の日本人に意図的に植え付けている。

 

2 西洋医学の医者達が、日光に当たるとメラノーマ等の皮膚ガンになる、と言って、日光に対する恐怖感を植え付けている。

白人が赤道直下で長時間日光に当たれば、メラノーマに成る危険は有るが、日本人が日本の太陽に当たってメラノーマに成る事は先ず有り得ない。

皮膚ガンの最大要因はタムシである。

 

3 最近はLHCや加速器やHAARPや5Gに依って、我々の母なる地球の最も大切な電離層[註]が破壊されている為に異常気象が度々発生し、夏が極端に暑く、冬が極端に寒く、春うららの時期や、温暖な時期の秋が殆ど存在しない。その結果、夏には熱中症警報が連日発令される。しかし私・佐野千遥が推奨している健康法を実践している人達が熱中症に罹ることは先ず有り得ない。

 

[註]:実は電離層とは、地球の北極の穴、南極の穴を貫く負の誘電率・負の透磁率の内部円筒空間に常駐するS極、N極磁気単極子の集まりが、北極の穴、南極の穴から出て来た物であるオーロラが地表の空一面に広がった物。つまり電離層とはS極、N極磁気単極子の集まりであるので、宇宙空間にゴーゴーと散逸する大気の再生補充、重水でない雨を適度に降らせる、等の地球上に人類が生存する為に不可欠な役割を負っている。

 

スミルノフ生命物理学、スミルノフ医学の観点から強く警告するが、以上3つの原因により、現代日本人は日光を極度に恐れ、常に帽子を被り、頭巾を被り、日傘を挿して、頭蓋骨に日光が当たる事は一年を通してほぼ全く無くなっており、これは大きな精神的病の危険と大きな知的障害の原因と成っている。

 

第4章 多言語を本格的に習得するには、自分の既習の外国語で培った能力を新しく習おうとする外国語に移植する、という認識で、執拗に辞書や大辞典を引きつつ文を組み立て、鏡に向かって独り言を言う事である。

 

今日、インターネット上の外国現地からのTV・ラジオ放送を視聴できるという事は、国境を超えて本国に行かずしてその外国語をマスターしてしまう環境が整った事を意味する。

 

私がフランス語を第2母国語レベルまで習得できた大きな原因の一つは、和仏大辞典を持ってフランスへ行った事であった。大辞典では、日本語でしか普通言えない様なニューアンスの有る表現の仏語訳を立ち処に見付ける事が出来たのである。

 

フランス語を第2母国語レベルまで習得した私・佐野千遥自身、アラビヤ語をフランス語を通して学び、フランス語の能力をアラビヤ語に移植せんとする絶大なる情熱を以って、カタルからのアルジャジーラTV放送を連日朝から晩まで聴きながら、独学で習得した。その際、アングロサクソンでは作り得ない、語根により整理されたフランス語 ⇄ アラビヤ語大辞典が大いに役に立った。総数60万語の語彙数を誇る個性の無いアラビヤ語の単語が、フランス語 ⇄ アラビヤ語大辞典で見ると、脇に有るフランス語単語に挽立てられて個性的に見える。若し此れが日本語 ⇄ アラビヤ語辞典で、アラビヤ語単語の脇に書いて有るのが日本語の単語である場合には、脇に有る日本語単語に挽立てられて個性的に見える、という事は起こらない。何故ならフランス語は嘗て多大なる情熱を以って習得した記憶が今も残っている外国語であるからであり、母国語の日本語を幼児の時期に悪戦苦闘して習得した記憶は残念ながら最早残って居ないからである。

 

私は東京大学に於いて第2外国語はドイツ語、第3外国語がフランス語であった。ドイツには1985年ミュンヘンのSiemens(ズィーメンス)社研究所でAIの仕事を遣りに赴いた経験が有る。

 

トルコ語はオスマントルコに支配され、後に逆にトルコを植民地としたドイツのドイツ語を通して習得して来た。英語 ⇄ トルコ語辞典はアングロサクソンには言語解析能力が欠けているので使うのを止めにした。歴史上トルコと関係の深いドイツの言語解析能力も旺盛なドイツ人が作ったトルコ語 ⇄ ドイツ語辞典はトルコ語表現の機微を良く捉えている。

 

ペルシャ語はロシア語を通して習得して来た。アメリカを敵と見做しているイラン人が作ったペルシャ語 → 英語、英語 → ペルシャ語辞典はペルシャ語の発音表記[註1]が一切為されておらず、これ等の辞書は完全にイラン人が英語を学ぶためだけの物であり、英語を知っている者がペルシャ語を学ぶためには全く出来て居ない。イラン人はロシア人に対しては心を許す様で、ペルシャ語 → ロシア語、ロシア語 → ペルシャ語大辞典にはロシア文字に依るペルシャ語単語の発音表記が為されている。私はこれ等の大辞典を使ってペルシャ語を習得して来ている。Googleのマルチリングウァル辞書に於いても、ペルシャ語の音声機能は無し[註2]に成っている。

 

[註1]:母音記号ファトハ[a]、カスラ[i]、ダンマ[u]を持つアラビヤ語(そしてアラビヤ語辞書には必ず母音記号ファトハ[a]、カスラ[i]、ダンマ[u]が子音字に添えられるのでアラビヤ語単語の発音は完全に正確に決まる)と違ってペルシャ語には母音記号が存在せず、実際子音字しか表記しないペルシャ語の辞書では、外国人は各子音字に如何なる母音が付随するのか、次に続く子音字を母音に読み替えて発音すべきなのか、を知る事が出来ない。

 

[註2]:Googleのマルチリングウァル辞書に於ける、音声機能無しのもう一つの言語はヘブライ語である。これはユダヤ人やイスラエルという国が、敵がヘブライ語を独学で習得してしまう事を極度に嫌う為であろう。

 

ヒンディ語、ウルドゥー語はインドが大英帝国の植民地であったのだから、アングロサクソンが一番その言語的特性を心得ていなければならないのだが、本来的に品詞の並び以外の文法を全て破壊してしまった英語を母国語とするアングロアクソンは、言語解析能力が非常にお粗末である。ヒンディ語、ウルドゥー語も或る程度、語根に依って整理した方が良いと思われるが、ヒンディ語 → 英語大辞典、ウルドゥー語 → 英語大辞典に於いて、全く別の語源の単語が、只アルファベットが近いという理由だけで、次から次へと隣り合わせに並べられている。ヒンディ語 ← 英語大辞典、ウルドゥー語 ← 英語大辞典ではヒンディ語訳、ウルドゥー語訳の何処までが基本形で、どれが変化活用形であるか区別が付かない様にゴタまぜに並べられて有る。そんな分けで私は、ヒンディ語、ウルドゥー語を習得する際にそれしか世の中に存在しないアングロサクソンの作った辞書を、疑いを持ちながら使って来た。

 

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以上

 

youtube公開 7月31日Dr佐野千遥講演 プーチン失脚




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